2023_地域のお仕事_島根東部版_中高生
8/52

奥おく出いず雲もの山林とたたら(鉄づくり)の関わりたたらの時代(室町期〜明治期)(大正末期〜昭和期)木を売る時代現代江戸期から明治期にかけて所有していた山林は2万5OOOヘクタール!現在の大阪市と同じくらいの広さなんだ!森林は人間に欠かせない「水」みなもと。そんな森林が今も豊かなの源のは、祖父母世代の方々が私たちの世代に向けて木を植えてくれたからなんだよ!さい採ばっして利用した山には、次の伐世代がまた使えるように植樹をするんだ。山のサイクルは5O年以上でとても長いんだね室町時代の1460年、田た部なべ家初代「田た辺なべ彦ひこ左ざ衛え門もん」が川の砂鉄を採取し製鉄を始めました。 中国山地には良質な砂鉄と山林が豊富であったことから、江え戸ど時代を最盛期として奥出雲地方は日本の鉄づくりの中心として栄えました。たたら製鉄にはたくさんの砂鉄や木炭が必要であったため、田部家のような鉄てつ師しは広大な山林を所有する必要がありました。明治時代に入ると安価な洋鉄が輸入され始め、たたら製鉄は衰すい退たいしていきます。そして、大正末期には奥出雲のたたら製鉄は終しゅう焉えんを迎むかえます。それまで利用されていた膨ぼう大だいな森林資源をいかすため、木炭生産・林業・製材など事業を多角化していくことになります。先人から受け継ついだ山林の保全や管理をはじめ、たたら製鉄が培つちかった歴史や文化、そして中国山地の豊かな環境そのものを資源として、さまざまな取り組みが始まっています。8山の管理・保全それをおこなってきたのが、田部なんだ!!中国山地という豊かな自然環かん境きょうの中、日本古来の製鉄法「たたら製鉄」を始めて560年が経ちました。長い年月とともに、たたら製鉄から木炭、山林、木材と事業の内容は変化を続け、現在ではみなさんの生活に密着した「食」や「住」の仕事にも活かつ躍やくの場を広げています。山林事業はもちろん、外食産業から住宅事業、そして「たたら」を中心とした里づくりの取り組みまで、これからも常に変化と進化をしながら、地域とともに歩んでいく企き業ぎょうとして発展していきます。山林の管理から、たたら製鉄の復興まで、山と里づくりに携たずさわっています長い歴史と山の恵めぐみに感謝して、新しい時代を地域とともに歩む

元のページ  ../index.html#8

このブックを見る